東大

学生にとっての東大と社会にとっての東大 〜上野千鶴子氏から考える〜

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田原です。 今回は東京大学の入学式での上野千鶴子氏の「祝辞」が波紋を呼びました。 端的に言えば僕は非常に強い憤りを感じたのですが、ツイッターとかFacebookを見ると擁護というか支持する声が多くてびっくりしました。その意見は「東大生はこれくらい言われた方がいい」という反知性主義的な発言から、「素晴らしいお言葉」や「これを批判する人は人としてあり得ない」みたいに千差万別です。 これを見ていて、少し違和感がありました。 「あれ、入学式ってなんなんやろな。」 と。 どうやら東大生である自分が捉える「東大」と社会が捉える「東大」に大きな違いがあるのではないかと思いましたのでここに書き記そうと思います。 なぜ僕は怒るのか 上野氏の行っていることはほとんど正しいと思いますし、文章としても練り上げられていると思います。 というかこの記事は主義主張をいうための記事じゃないんで中身の議論はなるべくしません。というか中身に関しては75%くらいいいこと言ってんな、って感じです。 ただ、それはこれが授業とか講演会とかブログとかで言われた時の話。 これ、どう考えても「祝辞」じゃないですよね。僕がキレてるのは以下の二点です。