負債論を読んでみた5 最終章 〜負債は現代人を助けるか,追い込むか〜

負債論を読んでみた5 最終章 〜負債は現代人を助けるか,追い込むか〜

世界は再び信用貨幣の時代になった.

これは1971年のニクソンショック以来ずっと続いてきたことである.

ではそれ以降,以前の信用貨幣の時代みたいに我々の思考が唯物論的な考え方から抽象化したか.また戦争と貨幣の繋がりは弱まったか.

答えは否である.依然として考え方は変わらないし,いま貨幣を最も多く発行し,基軸通貨としての特権的な利益を得ているアメリカ国債の一番の要因は戦債であるし,信用貨幣であるドルが通用する一番の理由は背後にアメリカの軍事力があるからだ.その証拠に,日本や韓国などアメリカの軍事力の庇護下にある国はアメリカ国債を大量に購入する傾向にある.つまり,今回始まった「信用貨幣の時代」はこれまでの信用貨幣の時代と異なり,個々人の信用で成り立つ分散型のシステムでも戦争や略奪と無縁の平和的なものでもなく,むしろこれまでにないグローバルな規模で中央集権的,かつ暴力を背景にした信用貨幣なのである.

先ほどアメリカ軍事力の庇護下にある国はアメリカ国債を買う傾向にあると述べたが,中国だけ逆の動きをしている.すなわち軍事的に敵対しながらもアメリカ国債を購入している(アメリカの利益に協力的である)のだ.この理由には貨幣の政治的側面が隠れている.それは伝統的な冊封的な考え方であり,相手に対して豪華な贈り物などを施すことで圧倒的な優越得ようという考え方であり,大きな政治的コストを支払いながらも,一方的に贈与する関係性になることで将来的にアメリカに対して大きな影響力を持ち,アメリカに対して上に立とうとしているのだ.

民衆に目をやると20世紀の末からマルクスなどが言っていた労働者階級の蜂起は発生しなかった.その代わり労働者の生産性と比例した賃金の上昇を背景に福祉の充実や生活の安定によって,国家と労働者は敵対関係ではなくなった.また,ケインズ主義によって「無から有を生み出す」政策が推し進められ,これが第二次世界大戦時など景気を刺激し,労働者をエンパワーメントした.そうした債務者にとってありがたい(債権者と債務者の垣根を減らす)ケインズ的政策は,各国でマイノリティに政治的平等を求める運動に転化していった.さらにこの時代の「無から有を生み出す」政策は国家を債務者とみなし,国民の自由を債務に対する当然の権利とみなす動きにつながった.

しかし1970年代に入ると様々な社会的危機が発生し,サッチャーなどの「小さな政府」がケインズの遺産を解体し,賃金と生産性はほぼ無相関,生産性の上昇に賃金上昇が離れていったのだ.これらの後退は債権者と債務者の関係性を大きく変え,政治的な平等を訴える動きもそれに伴い後退した.

ケインズは”資本主義”が進むに従い封建遺制の一つである金利生活者が徐々に消えて行くだろうという見解をしめした.しかしケインズ経済がもたらした恩恵が薄れると自体は全く異なる方向へ動く.金利生活者が消える代わりに誰もが債権を購入し,金利生活者となることが奨励されたのだ.これは逆に言えば,同じくらい負債が奨励されたとさえ言える.米国では負債の金利の上限がなくなり,警察や裁判所が合法的に法外な利息を取り立てられるようなる.クレジットカードを皆が所有するようになり,住宅もローンを組むことが一般的になった.(その結果が2008年だ)また,マネタリズムに基づき,あたかも信用貨幣が金銀同様に貴重であるかのように扱われた.それゆえ,金融が商品として消費される世界がさらに出来上がってしまった.

思想的にも変化を遂げた.福音主義右派と呼ばれる人たちは,債権者を「他者の創造性を信じるリスクをとる事で無から有を生み出すことのできる人」と評価しそれを神意とした.一方で債務者には厳しい「モラル」が要求されるようになる.つまり,負債を負った自分を自ら罪人とみなし,罪人である債務者は他人とモラルある関係性を築くために常に贖罪(=借金の返済)に追うべきと考えるようになるのだ.しかし,彼らは自身の放漫から負債を負っているわけではない.今ほとんどのアメリカ人が負債を負い,その原因は冠婚葬祭など社会的なつながりを持つために負った負債なのだ.これを誰が責められるのだろうか?

しかしその一方でどんどん負債は商品化し,「返せないのならば警察にでも裁判所にでも突き出せば良い」という考え方が定着していった.(一方で債務者は自身をモラルで縛らねばならなくなり,無限に債権者として資産を増やす富者と異なり無から有を生み出すことは許されなかった)この債務者と債権者の争いの破綻こそが2008年だ.ただ,その結末は無惨だった.本来,起きるはずの債務者と債権者の対話,社会制度の見直しは発生せず,”債務者たる納税者のお金で”救済されただけだった.

この結果,現在非常に大きな分水嶺にある.起きるべきと思われていた改革が起きずより大きな破局の危機にあり,新しい時代への入り口へとなっている.これが意味することはこれまで改革を見出せなかった我々の想像力の限界だ.著者の考えではこの想像力の貧困さは,アメリカ資本主義の軍事化,すなわち改革や社会運動に必要性や勝ち目を感じさせないようなプロパガンダや圧力の結晶の結果,我々は資本主義を未来にずっと続くものと考え負債の売買に終始するようになったのだ.

そうしたスパイラルから解放するために必要なのは,我々民衆の方が社会を動かして行くという自覚を持つことだ.いまのような過渡期は歴史的に見ても破局の連続である.しかしその果てに価値観を一新する新しいシステムが生まれるのだ.(例えばイラクでは有利子負債,そしてイスラムに基づく有利子負債を完全に棄却したというこれまでのモラル観を一新する経済システムが生まれた)

我々がそれを想像できない理由は,歴史的に暴力が人間の本質を歪めてしまったからだ.暴力こそ人間の本質である,という考え方に我々は暴力によって誘導されてしまっている.しかし5章を思い出して欲しいのだが,人間社会は暴力だけではない.コミュニズムという形態もある.これは等価性を全く求めない,「愛」に基づく考え方だ.コミュニズムが愛に基づくなら市場は「窃盗」に基づく形態だ.(市場の始まりが窃盗や暴力で奪われた金銀の流通にあることを思い出して欲しい)

市場はあらゆる関係性を数字に置き換える.その上人間の社会性そのものを負債に転化し,過失や罪業にみなしてしまう.そんな邪悪な世界観の救済として生を絶対的なものへの負債としてみなす「原初的負債論」はあった.しかしそんな邪悪な世界観こそが欺瞞に満ちたものである.そもそも「絶対的なもの」とは交渉ができない(交換が成立しない)存在である.よって世界に対する負債など初めからないのだ.負債とは約束の倒錯にすぎない.大事なのは「私が誰に何を負っているかを自分で決めること」であり,それを受け入れることから真の自由への道が始まるのだ.

 

以上です!!

疲れましたあ…図書館で借りてきてもらった本なのでたった2週間でこの分厚い本を読み,なおかつブログまで書くのは無理かと思いましたがなんとかなりました…流石にあとがきまでは間に合わなかったのでぜひ本物を読んで見てください.

この本を読んでの所感はまた後日書こうと思います.

ここまで読んでいただきありがとうございました!