負債論を読んでみた 1 〜1章から2章〜 貨幣の起源

負債論を読んでみた 1 〜1章から2章〜 貨幣の起源

ブロックチェーン界隈で最近何かと話題になっている負債論を読んできたいと思います。

なぜ、「負債論」と「ブロックチェーン」に深い関わりがあるのかについては後日記事にしたいと思います。

第1章

 

この本は一つの疑問から始まります。

なぜ、負債は返さないといけないものとして “考えられているか”

という疑問です。よくよく考えてみると負債は”絶対に”返す必要はないです。(絶対に返さなきゃいけないとなると負債のリスクが0になってしまう)そもそも負債とは何なのでしょうか。暴力団が要求する「みかじめ料」と「カネを貸せ」の間にどんな違いがあるのでしょうか。この二つは「暴力団が力を持っている」うちは実質は変わらないはずです。(その構造は基軸通貨であるアメリカの国債発行にも似たようなものが現れる)

しかし負債の返還するということは、一種のモラルとして捕らえられ、そのモラルは非常に強力なものとなっています。(暴力団やマフィアが借り手を脅迫する根拠はこの強力なモラルにあると考えることができる)

一方で金貸しはキリスト教など多くの宗教でインモラルな存在として、罰あたりな存在として扱われてきました。この矛盾、このモラルの混乱は何なのでしょうか。

この負債を巡るモラルの疑問について考えてみると、モラルが負債という「義務」に変換される時、一体何が起きているか、という新しい疑問が生まれます。

筆者はこれを「数量化」にあるとしています。負債は借り手の人間性などの要素を一切排除し、金額と利子という数字に変換します。数字という非人格的なものに変更されることで、暴力や売春の強要など非人格的な行為も「数字上の取り引き」として許容されることになります。(この行いをモラルに再変換すると金貸しはインモラルな存在になる)
逆に、高利貸し側が非人道的な取引を可能にするためには暴力や権力といったものを言わせぬツールが必要になります。暴力や権力が借り手を人間ではない、非人格的な数字として扱うことを可能にするにします。

本書では負債の歴史を見る中でこうした暴力や権力の作用についても考え、人間や人間社会の本質にも迫るとしています。

 

第二章

この章では「貨幣の起源」について述べています。

貨幣の起源は従来の経済学では「交換の円滑化」があるとしていました。肉と塩を毎回毎回物々交換するのは面倒だ、取引が成立しないこともあるから貨幣を作るという考え方です。

しかしこれは間違っているとされています。なぜなら物事交換で成立していた社会は人類学的に一つもないからです。その代わり、あらゆる原始的な社会では基本的にはグループ内での「譲渡」が基本でした。つまり家族など近しい相手方が欲しいと思ったものを無償で与える営みです。その代わり自分が欲しいものを持っている人が近くにいた場合はそれをもらうことができるようなシステムです。

考えてみれば当然のことです。ほとんど会うことのない人間同士であれば騙したり暴力に訴えて無理やり奪い、一方でいつも生活を共にしている間柄ならばお互いが欲するものを与え合う互助関係がもっとも効率的です。実際原始的な社会で行われていた物々交換は普段交流ではない部族同士で行われ、殺しになる危険性を孕んでいたり、儀礼的な戦争の形をとる場合がほとんどだそうです。

従来の経済学がこのようなミスを犯したのには、発達した社会では「第三者と交換が可能なほど法制度が整っているから」という点があります。そのため、法制度がない原始社会での暴力の危険性を見落とすのです。しかし、これは個人的な所感ですが、高度に発達した社会でもその法的制度の根幹にあるのは「暴力の均衡」です。

法に反すると執行される国家権力による暴力と交換時の暴力の危険性の均衡、歴史的な国家による抑圧・暴力と革命など民衆による国家への暴力の均衡といった均衡が幾重にも重なり、ほとんど意識しなくて済むようにラッピングされて社会に存在します。

話を戻すと、この互助関係ですが、与えられた方は与えた方に「借り」を作ることになります。

この貸し借りの関係性は、そのままだと当事者間の関係性や所属する家族などのグループ内での関係性ですが、この貸し借りの関係性を第三者の借りの精算に使ったのが通貨の始まりとされています。その証拠に、メソポタミアでは粘土板に貸し借りの記録をつけ、それによって金融を行っていました。(これは最古の銀行と言われる)

つまり、通貨はその起源からからして負債としての性質を備えていることがわかります。(ちょうど現在の通貨が中央銀行のバランスシートを元に発行するのとちかい)

 

今回はここまでです。第12章まで読めるか不安ですが頑張っていきます。